お知らせ
宇宙からの眺めた気仙沼
2011.10.01 [ 井林院長MonthlyTale ]
111001 10月朝礼訓示 #1110
去る 9/18 日曜日の夜、高度 400km の軌道にある国際宇宙センターISS (秒速8km/sec、僅か 90 分で地球を1周)からのNHK 生中継を興奮して観ていました。もともと東大病院の外科医であった古川聡宇宙飛行士が、宇宙の渚を旅しながらオーロラや渚に沈む月の模様、ペルセウス座流星群やスプライト(妖精)現象などを、世界初の試みとしてハイビジョンカメラを用いて宇宙空間から生放送に成功した記念すべき夜でした (http://www.nhk.or.jp/space/nagisa/)。
半透明緑色カーテンのようにみえる北極のオーロラが、80〜100km 上空で宇宙電子と地球大気中の酸素が衝突し神秘的に輝く自然現象であり、しかもその形がリング状であったという新事実を、物理が好きだった自分も初めて知りました。地上から 60 年近くもの間、ライフワーク
としてオーロラ観察を続け、リング状形態を成すことを見事に予測した 80 歳を越える学者が、何とアラスカ大学名誉教授の日本人というエピソードにも驚かされました。同番組では、その数日前に撮影された日本列島の夜景までもが綺麗に映し出されていました:九州南部の鹿児島から福岡、そして中・四国、大阪、名古屋、東京へと次第に北上しながら、ISS から宝石箱のような大都市照明の集簇が確認できました。その後画面に現れる東北地方に目を凝らしましたが、仙台のような大都市を含め心なしか全体的に暗い印象を受け、何とも複雑な想いでした。
311 の三陸海岸沖の大震災からほぼ半年が経過した同夜でしたが、ふと自分が泊まっている岩手県の東北新幹線「一ノ関駅」周辺はきっと暗くて映らないのだろうなと思いながらも、翌朝が早いため就寝しました。夜中 3:00 過ぎに大きな揺れ(余震)で起こされましたが、そのまま
眠りにつき 5:30 には起床、レンタカーを借り6班に分かれて宮城県気仙沼に向かいました。 9/19 敬老の日に合わせた6カ所の集会所での高齢者医療相談に応募し、自分達が向ったのは市中心部高台にある気仙沼中央公園内の186 世帯602 名の被災者の方々が暮らす仮設住宅でした。全国から、合計 24 名程の老年病専門医(内科医、精神科医、歯科医)が集まり、私が配属となった B 班は札幌、東京、徳島、九州からの4名構成でした。普段通りの耳と口と血圧計だけの自分にもできる範囲の健康相談でしたが、多くの方が先々の不安や狭い仮住居そして余震の影響からか、普段より血圧が高目で運動や睡眠不足も多い印象でした。恐らくは海に沈んだままのお孫さん2人とお嫁さんが6ヵ月経ってもまだ行方不明だとか、近所の方がイヌを探しに戻ったばかりに亡くなったとか、こちらが聞く訳でもなく淡々とお話される方もおられましたが、皆さん概してお元気そうで認知症の方は殆どみかけませんでした。もっとも、仮設住宅に入居なさった方々は初めからセレクトされていらっしゃる可能性があるのかも知れません。
決して贅沢とは言えないオニギリ弁当を戴いた後、昼休みを利用して仮設のある高台から港周辺まで車を走らせました。朝方は西の山側から市内に入ったのですが、昼に入江の見える漁港地点まで下りてみると、正に風景は一変していました。大地震、大津波、それに引き続く大火災という三重苦に見舞われた、鹿折地区はその光景も然ることながら、報道では伝わって来ない独特の臭気や地盤沈下し満潮の度に海水が溜まる道々や家屋跡、さらには海岸から数 km離れた駅前交差点に流されそのまま置き去りとなった大型漁船など、地元の方々のこれから先の苦悩を思うと我々の応援は大きく不足していると思われました。日本海側は太平洋側に比べ地震そのものの発生が少ないので、津波で被害を受けるケースも比較的少ないと思われがちですが、6年前の玄海沖地震や8年前の北海道南西沖地震/巨大津波の例もあるわけで、決して九州人も安心してはいけないと感じています。戦後に生まれ育ち、斯かる自由で平和な時代に生かされ、ボチボチ還暦に近づき final corner を回り始めた自分が言える柄ではないのですが、将来の“新たな日本国”の復興・創成を託された多くの若い世代の皆さんが、もっともっと自主的に悩み考え抜いて、かつエネルギーを費やして頑張って下さることに期待をしています。
鹿折唐桑駅の50m東の交差点付近には疎らに残った工場の間に、大型漁船らしき影が、、、
近接のgoogle mapではより鮮明に映し出されており、実際現場では大きく道を塞いでいました。