お知らせ
オリンピックとSWEATチーム
2012.08.06 [ 井林院長MonthlyTale ]
120806 8月朝礼訓示 #1208
今年の夏は計画停電の噂のみとは言え、連日の猛暑の中を節電に努め、4年に一度の熱いオリンピックゲーム観戦で日々睡眠不足気味ではないかと思います。根性ある真面目な若者達の頑張り振りに、皆さんも毎日のように勇気と感動を貰っているのではないでしょうか?
一方、本日は広島原爆記念日です(丁度67年前のAM8:15に生じたhuman-made calamityです)。父方祖父の故郷でもある広島県の呉で造船された、当時の日本海軍が誇る史上最大の軍艦“戦艦大和”も1945年4月初めには撃沈され(今の日本の人口数に匹敵する多額の経費;当時の約1.3億円が使われたと聞きます)、日本は愈々形勢不利となり、その後の4ヵ月余りで大勢の若き軍人や罪なき一般人が亡くなった訳です。当時の広島の暑さは恐らく今以上で、加えて放射能を浴び一瞬の内に焼け焦げたヒト、数日内に急性白血病+内蔵出血とともに倒れたヒト、大火傷を負った上に感染症を併発し地獄の苦しみの中で逝ったヒト、それは筆舌に尽し難い悲惨な光景が此処彼処に見られたであろうことは想像に難くありません。
たまたま戦後50年の際(第2内科医局長の頃?)に、貴重なカルテを後世に残すべくカルテ倉庫を整理する係りを仰せつかり、九大病院裏門(北門)近くの幽霊屋敷と化した旧看護婦寮の2階で、段ボール箱に詰め込まれ無造作に積まれた古いカルテを汗だくになって箱を開け調べたことがありました。その中に終戦直後の8月末に九大病院に命辛々辿り着き、恐らくは火傷に加え脱水等も原因で被爆後脳卒中になり加療を受けた患者さんのカルテがありましたが、当時は50%ブドウ糖溶液20ccの静脈注射1本が精一杯だったようです。当時はZucker液が浸透圧利尿と栄養を兼ねた唯一の脳卒中急性期治療のようでしたが、全て万年筆で記された独語のカルテなのでやや不正確かも分かりません。
話は変わりますが、先週末は東名厚木病院摂食嚥下療法部の小山課長と芳村主任のお二人の 看護師の先生方を当院にお招きし、経口摂取が未だ充分できていない難しい症例11名を対象に、朝10:00から16:30過ぎまで病棟ベッドサイドにおける摂食嚥下訓練の実際をご指導戴きました。夕方からは、現場で即役立つ意義あるご講演75分をお願い致しました。この日は県外からも、 強い信念のもと真面目で熱い5〜6名の先生方が駆けつけて下さり、聴講者一同「目から鱗」の根底から摂食嚥下訓練への取り組み姿勢や心構えの過少さを猛反省する大変良い切っ掛けと機会を頂戴したと思います。その様子の一部は早速、病院FBに写真入りで掲載しましたが、全職員が真剣かつ熱心に見学/実習/勉強すると同時に、満足感・充実感が得られた様子で、お二人のゲストや県外からお見えの先生方には改めて心から深謝申し上げます。
病院FB→ http://www.facebook.com/pages/医療法人社団三光会-誠愛リハビリテーション病院/347803828571017
最近、リハの世界でもオリンピック団体競技においても、良くWorking Together Teamという言葉を耳にします。自分はこの所の色んな出来事に刺激を受け、もう一度人生をやり直す意味を込めて、、、“SWEAT (Seiai Work/ Enjoy/ Activate Together) チーム”をスローガンに、職員全員が皆で良い汗をかきながら、一所懸命、患者さんと自らのため楽しみながら、互いに刺激を与えつつ、aggressiveかつ尚志の信念を持って誠心誠意働けるチーム医療を目指して行きたいと考えてます。暑いけど、頑張ろうニッポン!頑張ろう誠愛リハビリテーション病院!