お知らせ
改めて新理事長の自己紹介
2015.12.07 [ 井林院長MonthlyTale ]
151207 12月朝礼訓示 #1512
前理事長のご逝去後、2カ月以内に当社団三光会の新理事長を選任し法務局に登記する必要があるため、急遽11/26に臨時社員総会/理事会を開催し、力不足は否めませんが歴代理事長の役目を後継することになりました。
思えば、当院赴任の切っ掛けは7年前の今頃に、敬愛する研修医時代の医局長でいらした故小野山薫先生から院長職のお誘いを受け、「医局の運営を中心になら 貴君でも十分務まるから大丈夫!」と説得され、まだ50歳台半ばで元気もあるし 今後は先生とゴルフでも楽しみながら恩返しにお手伝いでもしようかと気楽にお受けしたのでした。ゴルフは結局2回しかご一緒できませんでしたが、これからは新米理事長として組織の運営、経営ばかりでなく 将来切り拓き歩むべき道の選択/決断(新病院の設立・移転を含め、誠愛だけでなくカトレアや三光クリニックなど法人全体の繁栄)を迫られながら、一見楽しそうに思われますが 決して甘くなく楽でもない日々が始まろうとしています。
小学校2〜4年生の一番大事な時期に父の留学の影響で米国(Utah & Massachusetts州)に渡り 帰国後は九九もできずに1年遅らされ、東京の私立中学/高校時代(学園紛争真っ只中)には ノンポリ中立的立場の議長に担ぎ上げられ、一方で 勉強よりもインターハイを目指す軟式テニス部の主将を高3春まで任され、同夏の大事な時期に これまた父と家族が福岡に赴任したため 一人高円寺に下宿し卒業式を終えてから初めて九州は福岡入り。その後 九大第2内科関連施設ならびに米国Seattle downtownにあるUW脳神経外科留学を経て、帰国後は脳循環代謝研究室の主任+勝木名誉教授の主治医+病棟主任~医長/副〜医局長の3〜4足の草鞋、万年助手から九大大学院医学研究院時代の准教授に、、、。その時々で寧ろ避けたいくらいの役割が巡って来ましたが、つい断りきれずに引き受けてしまう自分の安易で楽天的な性格・恵まれた運命(?)を 感じざるを得ない人生のトラック3/4周分です(苦笑)。本当に嫌なら都度断ることもできたのでしょうが、 “なるようにしかならない”という時流に逆らわない自分の生き方が成せる技でしたし、これからもまたそうなのかも知れません。しかし今回ばかりは 今まで以上に身の引き締まる思いで、新たな組織の責任者に選ばれた以上は特定医療法人社団三光会を代表して、創造・発展・伝承の精神を忘れず 自分流のやり方も少しばかり取り入れながら 引き続き精一杯頑張ろうと思います。
お世話になった恩師や諸先輩方、取り分けこの7年間 前理事長から学んだ数々の教えを思い出し、さらに善い回復期リハビリテーション病院に発展させるべく、多くの同僚や仲間とともに益々精進して参ります、、、どうぞ皆さま 宜しくお願い致します。
付記)実は、理事長とはちょうど昨年の今頃(141212)から、TTC会議(Top Three Conference)と称して理事長/院長/管理部長の3人で毎週木曜日に1時間ほど話し合いの場を設け、共通認識のもと新たなルールや今後の病院経営/運営などにつき議論を重ねてきました。今頃は時節的にエビの脱皮の時期だそうですが、、、自分も心身ともに同じ殻に閉じ籠り安住しないよう(つまり微温湯にドップリと浸かったまま慣れ切ってしまわないよう)、常に柔軟な考え方と環境変化への耐性をつけて行きたいと考えております。