お知らせ
レッテル貼り
2020.10.01 [ 長尾院長MonthlyTale ]
最近気になったいくつかの報道についての話です。
まず最初はある女性衆議院議員の発言です。女性への暴力や性犯罪に関して、
「女性はいくらでも嘘をつける」とある会議で語ったところ炎上してしまい、ご丁寧に「そんなことは言っていない」と開き直ってさらに燃え上がったという一件です。複数の人の前で発言しておいて、後から「言っていない」なんて嘘をつくのはどういう神経だろうと思いましたが、「女性は嘘をつく」というのを実際に示したかったのだと言えばそうなのかも。この発言の底流にあるのは「自分は嘘つきだ」という確信でしょう。
もう一つの報道は、アメリカに留学中の中国の若者です。NHK の取材に答えて彼女は、「中国人留学生を快く思っていないアメリカ人がとても増えて、自分たちの居場所が狭められている」と語っていました。
確かに中国共産党の指導者たちが進めている政策は国の内外で厳しい批判を受けており、世界の脅威にさえなっているというのは事実でしょう。しかし、それならば中国人はみんな悪い奴なのでしょうか?
私が留学中に同じ研究室で働いた中国人は、非常によそよそしくて、話しかけても必要なこと以外は何も語らないような男でした。それでも時間がたつうちにお互いに打ち解け、異国の地で困ったことも相談できる友人になりました。彼がある日ぼそっと話したのは、「テツよ、おれは日本人はみんな嫌な奴だと思っていたけど、そうとばかりは言えんということがわかったよ」という嬉しい告白でした。
ここに挙げた 3 つの例はどれも典型的なレッテル貼りです。人間を「男と女」、「中国人とそれ以外」「日本人とそれ以外」という形で 2 つに切り分け、そこに所属するものがあたかもみんな同類であるかのように規定するという点で、全く同じです。冷静に考えてみれば人間を何らかの基準で 2 つに分けて、(良し悪しの)レッテルを貼るなんてことがどれほど無謀なことか誰にでもわかるはずですが、我々は往々にしてそこに気づかずに同調してしまいます。ナチスがユダヤ教の信者にユダヤ人というレッテルを貼って大虐殺を繰り返したのも同じ思考パターンです。
同じようなことはどんな集団でも日常的に起こっています。職員の仲間内で も、職員と患者の間でも同じような決めつけがたくさんあるはずです。もちろん、全く思想の違う人間と仲良しになれとは言いません。しかし「あの人は○○だから」というレッテル貼りをして排除しないようにすることは人間の根幹にかかわる重要な問題だと思います。集団としてレッテルを貼らなくても、意見の違う個人を排除するのも成熟した組織とはかけ離れた在り方です。(それが社会で規定された悪でない限り)異なる意見や思想を持つ人を疎んじたり排除したりするのは、自らの成長を妨げることに繋がります。そして今、違う意見に耳を傾ける寛容性が社会から失われていくような気がしてなりません。
どうかこれを機会に、皆さん自身やその周囲を見回してみて、不当なレッテル貼りや意見の違いによる排除が行われていないか考えてみてください。みんなが誇りに思える職場には、排除の文化は決して似合いません。
長尾哲彦