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新平等宣言
2022.12.01 [ 長尾院長MonthlyTale ]
どのような組織も、その構成員に対して平等であらねばならないのは言うまでもありません。しかし、全ての人に平等に接するということは、誰にとっても決して簡単なことではないと思います。さらに言えば、「平等とは何か」という問題に答えなければ、「平等」の議論自体が始まりません。
「平等」がその字句通り、「みんな等しく同じ」ということであれば、誰もが喜んで納得するでしょうか?身近な例で考えてみましょう。入社したばかりで、先輩から手取り足取り教えてもらいながら何とか仕事をこなしている職員と、その道では誰もが一目置く達人で、患者さんからの評判もとても良いベテラン職員の給与が同じだとすると、果たしてそれが「平等」と言えるでしょうか?役職者はいろいろな考え方や社会背景がある部下を一つに纏めて、病院の方針に沿った成果を上げるという責任を背負います。同時に部下の失敗は自分の教育・管理不足とみなされる、ある意味とても損な役回りです。そこに何らかの報酬が伴わなのであれば、管理職に着きたいと思う人どれだけいるでしょうか?そうではないと考える人が大多数だからこそ、経験年数や役職に合わせて報酬を変えている組織が多いのでしょう。
これらの例に則って考えてみると、職員一人一人についてもっときめ細かい評価を下した上で、それに見合った報酬が分配されるというのが、多くの人が思う「平等」ではないでしょうか?決して横並びが平等とは限りません。
従来から誠愛リハビリテーション病院でも、この点を指摘する声は少なくなかったと思います。事実、私が赴任する前には人事考課が行われていたということも聞いています。それが機能しなかったのにはそれなりの理由があるはずです。ですからその理由をしっかり洗い出して、100 点満点とは言わないまでも、大多数の人が「それならいいんじゃない」と言えるレベルの評価方法を考案し、実際に運用したいと考えています。そうすることによって、従来とは異なる新しい観点から見た「平等」が生まれると思います。
「評価」は決して職員をランク付けしたり振り落としたりすることが目的ではありません。自分の仕事ぶりが他の仕事仲間にどのように観られているかという客観的な視点をフィードバックし、個人の成長を促すためのものです。「評価」に当たっては「成果」だけを見るのではありません。その人が努力した過程や患者さんからの評価なども対象になります。その人の良いところを伸ばし、足らない所を補うのが目的ですから、「自分は切り捨てられるのではないだろうか?」と心配する必要はありません。ただ、成長する努力だけは継続してください。その努力は職業人に等しく求められるものであり、必ず誰かが見てくれているはずのものです。
適切に「評価」を行うには、実際に運用できるかどうかという問題があります。項目が細かすぎると、かえって評価される人の全体像が見えにくくなるということもあるし、評価したり集計したりする人たちが疲弊して、結局は続かなくなってしまいます。現在は評価方法の叩き台を考えている段階ですが、ある一人の職員を評価するのは上司だけではなく、同僚や部下や他部署の人も含めたいと思っています。シンプルでありながらも、ありのままのその人を描き出す評価法をしっかり考え出して、多くの人が納得できる「平等」な組織にして行きたいと思いますので、よろしくご協力ください。
長尾哲彦