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感動を与える
2019.09.01 [ 長尾院長MonthlyTale ]
私は音楽が好きなので、ちょこちょこコンサートを聴きに出かけます。期待通りにとても感動して、半ば興奮しながら帰り道につくこともあれば、思ったほどではなくて、少しがっかりということもあります。ただ、私の感じ方とは関係なく、演奏者がその時々のベストを尽くしているのはよく感じ取れます。考えてみれば、演奏者はそのプログラムの曲目を数えきれないほど練習し、 実際のステージでも何百回と演奏しているはずです。普通、同じことを何度も繰り返してやっていると、いわゆるマンネリ化して「流されて」しまいがちになります。しかし優れた音楽家は決してそうならないようです。「どのようなときも、楽譜がたった今書きあげられたような新鮮な気持ちで音楽に向かわなければならない」とラファエル・クーベリックという指揮者は言っています。
同じようなことを医療の世界でも耳にしました。私が敬愛してやまないある内科のドクターが、「感動を与える診察」を目指さなければならないと言っておられました。私たちの診察も、その多くは毎日繰り返されるルーチーンワークのようなもので、ついつい惰性に流れがちです。インフルエンザの季節など、朝から晩まで風邪症状の人と向き合っていると、ついつい丁寧な診察を忘れがちになります。そのような状況の中で、診察した患者さんに「感動を与える診察」とは一体何だろうと考えるようになり、私の中では、なかなか答えの出せない宿題になっています。
「感動を与える」仕事は、音楽家や医師に留まらず、あらゆる職種の人に求められる究極の姿ではないでしょうか?確かに、毎回、大きな感動を与えることはできないかもしれません。しかし、あなたと出会った患者さんが、満たされた心であなたと別れたとすれば、それは感動を与えたと言ってよいのではないかと思います。小さな感動でも会うたびに与え続ければ、それは相互の信頼となり、あなた自身の人生を彩るものになるでしょう。
院内を歩いていて、ときどき、傍から見て感動を覚えるような仕事ぶりに出くわすことがあります。私が、足を止めて静かにあなたを見ていたとしても、ストーカーと間違わないでくださいね。