お知らせ
感情失禁
2023.07.01 [ 長尾院長MonthlyTale ]
感情失禁という症状があるのは皆さんご存知ですね。その医学的な定義は わずかな刺激で泣いたり、怒ったり、笑ったりする状態」であり、脳血管障害、認知症などの疾患で見られることが多いとされています。当院に入院中の患者さんの記録や申し送りにも、感情失禁という単語がしばしば登場しますが、それに出会う度に私は一種の違和感を拭うことができません。
確かに、この程度の刺激では普通、泣いたり怒ったりしないよね」と皆が思うとき、感情失禁という言葉を使うのは間違いではないかもしれません。しかし、その人はもともと感情が表に出やすい人だったかもしれないし、自慢じゃないが私だって歳とともに、目からあふれ出る液体で映画のラストシーンが見えなくなるようなことが増えてきました。歳をとるとみんな感情失禁になるということでしょうか?
そもそも 失禁」という言葉が怪しからんと思うのです。尿であろうが便であろうが感情であろうが、失禁」と言われて嬉しい人はいません。「痴呆」が 認知症」で取って代わられたように、感情失禁という言葉は患者さんや高齢者に対する配慮を甚だ欠いていると思うのです。私は言葉にはそれぞれに歴史や意味があり、安易にダメ出しをしたりするのはむしろ良くないことが多いと考えています。しかし、人権に対する意識がかつてとは比較にならないほど向上した現在、感情失禁という単語はよほど注意して使わなければならないと思っています。
感情失禁という単語を使うことの最大の弊害は、患者さんがなぜ泣いたり怒ったりしたのかという理由を医療者が考えなくなってしまうところにあると思います。例えそれが過剰な反応に見えたとしても、その患者さんが泣かなければならなかった気持ちや、怒らずにはいられなかったその心情に思いをはせるそのことが、医療者としてとても大切だと思うのです。今まで何でも自分でできていた人が、ある日を境に他人におむつを替えてもらわなければならない生活に一変し、将来の希望も持てないときに、些細なことで涙を流したからといって、感情失禁」とレッテルを貼ってしまうのはあまりにも優しさに欠ける行為ではないでしょうか。
感情失禁という単語は医学用語として正式に認められていますから、それを使ってはいけないとは言いません。しかし使うからには、少なくとも正確な意味での感情失禁であることを確認して使ってほしいと思います。そしてその患者さんの感情の不安定さを引き起こした心の痛みに思いを巡らせることを忘れないようにしてほしいと思います。
患者さんの感情が不安定な時は、 感情の起伏が大きい」とか 涙もろい」とか 立腹しやすい」など、観察した通りに記述することで、感情失禁という単語を使わなくても病状を表現できるでしょう。感情失禁と表現してしまうと、何らかの脳の機能障害で感情をコントロールできない病的な状態という解釈になってしまいますので、そのような表現を見たら、お互いに本当にそうなのかを確認し合うことも大切かと思います。
ちょっとした言葉一つにも、医療 介護者が患者さんの人権や心の痛みに向き合う姿勢が垣間見えます。院内では DCT 委員会などを中心に、感情失禁という用語の使用に関心を持って、より患者の痛みに寄り添える病院に引っ張っていただければ有難く思います。
長尾哲彦